病院紹介

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受付時間 日祝
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毎月20日はフードの日

毎月15日ごろまでにフードのご注文いただくと20日(フードの日)に割引価格で販売いたします。(20日が水曜日の場合は21日になります)
処方食は全品5%、一般食は10%OFFに。

特売の日もありますので、トップページのインフォメーションをご覧ください。

安心の制度

わが子がどういう治療を受けるのか、飼い主様であれば誰しも気になることでしょう。
そこで私たちは「今どういう状態なのか」「なぜそういう状態なのか」「どういう治療が必要になるか」をご説明します。

また、飼い主さまには健康手帳と、
ご自宅に帰られてからも、今回の治療内容や今後の注意事項を確認できるよう「診断書」をお渡ししています。
なお、当院では「サファリ・ナレッジ・システム」という、健康維持に役立つシステムを採用しています。

院長紹介

私は昔から動物が好きでしたが、あまり理数系科目が得意でなく、文学と生物が好きな学生でした。成長していくにつれ、どのような進路をたどるか考えたときに、「動物のお医者さん」というマンガや動物園の獣医師の小説を読んで、獣医師になりたいと思いました。
しかし、子どもの時には動物を飼ったことがなく、獣医大学入学後、大学生の時に初めて仔犬を飼いました。飼い主デビューは遅い方だと思います。
しかし、そのはじめて買った犬を一ヶ月で死なせてしまいました。本当に自分自身の無力さを感じ、ひどいショックを受けました。

この経験があり、私は「動物を本当に助けられる獣医師になりたい」という気持ちが強くなり、今までの考えの甘さを猛反省しました。そのためには、自分自身を追い詰めなくてはいけないと感じ、学生の時は、一番忙しく厳しい臨床のゼミを選びました。朝早くから、夜中まで勉強と大学病院での診療補助をするゼミでした。
また勤務医時代も、大学のゼミの恩師から紹介された非常に厳しい動物病院を選びました。その病院は、フィラリアの摘出手術や整形手術などで新しい手技を開発するような先進的な病院で、その病院では6年間鍛えられました。そこでは獣医療の技術だけでなく、真摯に動物に向き合う姿勢を学ぶことができました。
その経験から、開業した今でも仔犬・子猫など幼少時代のかかりつけ病院となりたい気持ちはもちろん、真摯に動物と飼い主様に対応し、「幸せな生涯」を遂げることができるような病院(亡くなったときに「良い思い出」をもってお別れできる病院、例えるなら映画の「おくりびと」のような病院ですね)を目指していきたいと思っています。

余談ですが、私の考えやスタンスには、祖父母が大きく影響しています。
祖母が女医としては第一人者だった産婦人科医でした。その時代では、女医は珍しく様々な面で苦労があったかと思います。そのような逆境にも負けず、地域に根差した病院を作り、地域貢献していた人でした。獣医師という職種を選んだのは若干医師であった祖母の影響を受けていると思います。
また、祖父は画家でした。少しマイペースなところがあるのは、祖父の影響かもしれません。プライベートでは、絵を画くことが大好きです。一人、絵を画いていると心が穏やかになります。(ご存知かもしれませんが、飼い主様への年賀状で画いている病院のイラストは、実は私が画いています・・・)良く、物静かでおっとりしているようにみられるのですが、それは祖父の影響かと思います。

常安健介

しらさぎ動物病院の前身

祖母の常安田鶴子が当地にて産婦人科医院を開院しておりました。建物は昭和初期に建てられました。祖父の常安静人が画家であり、産婦人科医院にアトリエが併設されていました。当時としてはモダンでハイカラな洋館だったのでしょう。外観同様建物内も変わっていて子供の私にとってはとても楽しい遊び場でした。
もちろんとても古い建物でしたので、住みやすかったとは言えません。隙間風は吹くし天井の隙間から空の光が見える。エアコンなんて当然無い。杉やシュロの木がうっそうと茂っていて、風が吹くと窓の鎧戸がキーキー音をたてる。近所の子が「あそこの家はお化け屋敷だ」と噂するのを耳にしましたが、住んでいる当人もそう思っていたのだから仕方ありません。それほど趣のある家でした。
当時鷺ノ宮は多くの文人や画家の住む町でした。小説「二十四の瞳」で著名な壷井栄さんもこの近くに住んでおり、祖母とは親しい間柄だったそうです。祖母は壷井栄さんの勧めで小説を書くようになり、その作品は映画や演劇として公開されたので当時このあたりではちょっとした有名人だったようです。

この写真は雑誌の取材で撮影されたもので女優岡田まり子さんと一緒に写っています。当時は女医が非常に少なく、現代のように情報化が進んでいませんでしたから、女性の性問題や社会的地位の向上について正面から取り組んだ著書は非常に貴重なものだったと思います。小説だけでなく、平凡や明星といった雑誌でも読者から寄せられた相談について答えを執筆していました。

祖父が早くに亡くなったため、祖母は女手一つで二人の子供を養っていました。病と過労で1957年に亡くなってしまいましたので私は会うことが出来ませんでしたが、祖母は幼い頃から私の中ではとても大きな存在でした。もし過去に行けるなら一番会いたい人です。当院の患者様の中で何人か祖母のことを知っている人が来て下さったので大変うれしく思います。私は医者ではなく動物の医者ですが、祖母に負けないような獣医師になれるよう頑張りたいと思います。